質問者:ピーマンセット(2000円)
「国光の政」 という昔の政治漫画は読んだ事ありますか?。 LINE漫画で無料で読めるのですが、 汚職や政界に進出しようとする壺持った宗教と戦ったり、 ゆとり教育に切り込んだりする頭脳戦の神漫画だと思います。 ひろゆきさんがツイッターで毎日ほめて注目度を上げて欲しいです。 鬼滅クラスの予算でアニメ化されるまで呟いてほしいです。 順位の付けないゆとり教育に対しての名言が特に好きです「バカも利口もかけっこの速え奴も遅い奴もいて、 それが世の中だろーが」
*******文字起こし内容************
いやその名言は僕も正しいとは思うのですが
その価値のある人は価値があるし価値のない人は価値がないよね
というのを割と今日本社会は作っちゃってるので
にはその美人がそのあの褒められるの当たり前だしその頭いい人はすごいよねとか
明日早い人はすごいよねとかその人を褒める時に能力とか見た目とか
価値で褒めるんですよね
だからその何だろうな別に人って褒めなくてもよくねっていう人が
あんまりいなくて
要はその褒めるという行為って他の人と比べて何か突出した部分があると人は褒めるんですよ
でもその別に誰も褒めませんっていう人ってあんまり社会の中では優遇されなくて
やっぱりそのなんか褒める人ほどいい人という構造になっちゃうんですよね
で人褒めた方がいいよねとかってなるんですけど褒めるっていうのは
褒められてない人が下になるという構造になるんですよね
なのであの誰であれディスるとか誰も褒めないとかの方が
実は僕は平等な社会になるんじゃないかなと思うんですよね
いやなんか全然関係ないコメントで笑っちゃったんですけど
コメントがこっち追いついてないなんかそのおしっこ一人でできてすごいみたいな
あの子供に対する褒め方って結構正しいと思ってて
あの他者と比較して褒めるとかではなくてそのその人自身ができたことに対して褒めるは
僕はすごい褒め方して正しいと思うんですよね
なんでそので見た目を褒めるとかももうDNA的なものだったりするのでなので
その単純にあのそれできたのすごいねっていうその考え方だったりやれたことだったり
というそのその人自身の成果を褒めるっていうのができるようになった方が
割と社会は僕は良くなると思っているのですよ
要はそのあのまあ全然違うかもしれないですよ
全然外ししてるかもしれないですけど
今回長野の長野市中野市で立てこもり事件があったじゃないですか
であれの犯人の人が父親が議員のでなんか議長かなんかやってて
でそのジェラート屋をやっててそこそこ事業としてもうまくいっててっていうところで
で息子さんは野球部もやってて学校の成績も良くてで東京の大学に行って中退して
で30歳で地元の中のに戻るっていう状態でで
その近所の人が自分の悪口を言ったから殺すみたいなのを一応その警察に言ってるらしいんですよ
でその多分心の病だと思うんですよね
あの間違ったかもしれないですよ
要はその自分は勉強もできてその野球もやっててうまくいってて
でもその東京に行ってなんか大学も入れたということは多分頭も良かったと思うよ
入れたからね
でも多分その大学の中でうまくいかなくてやめてっていうので
自分の能力も報われなくてでその農家をやらされてたんですよね
もちろん好きでたかもしれないですけど農業やってっていうので
でもでその親は議員でっていうのでそのなんか多分自分の存在価値とか存在理由とかっていうのが
すごい敏感な状態になってて
で悪口を言ったか言ってないかわかんないんですけど
言われたのかもしれないし言ってないかもしれないですけど聞こえちゃったのかもしれないですよね
要はそういう風に言われてるだろうみたいなので
その自分のなんかその存在価値みたいなものが人が認めてくれてないという状態になって
そこでこれでなんとかその自分のそのなんかあのこう存在を守るためには相手を攻撃する
というのを選んでしまうというのは人間の構造上あると思うので
で多分そのなんか夜中の12時44分にそのなんかビール飲んでるワインかワイン飲んでる
あのおっさんの話を聞いてるような人達ってのはだいたいそのニートとか無職とか
子供部屋おじさんと子供さんとかそういう人たちだと思うんですけど
基本的にはその他人と比べられたらだいたい負けてるっていう人たちが
今こうなんかコメントを叩いてると思うんですよね
なんか恐ろしいやと書いてるけど君の話だぞ
なのでその社会の中でそのあんまり上位に行けませんでした
とかポジションが取れませんっていう人たちというのは世の中にいて
でそれが良くないことであるという認識を作っちゃってることというのが
あんまりよろしくないと思うんですよね
あの僕そのあのまあ海外の大学行ってたせいもあって
割とその宗教の人と話をすることがちょこちょこあるんですよ
またまたまそのあっちの大学行ってるとなんか教会に誘われて
で教会の人と話をしたりとかっていうのがあるんですけど
でそうするとそのあのとりあえず褒めるしで人を助けるの当たり前だと思ってるし
でその助けた見返りもを求めないんですよね
じゃあ困ってるのを助けます
でなぜかっていうと別になんか見返りがほしいわけじゃなくて困ってる人を助けるのが
当たり前だからっていうだけでもうそこであの議論にならないんですよ
そのえっと僕その若い頃に一人親切にするのがあんまり好きじゃなかったんですよ
要はその見返りを求めてやってるんだろうとかその下心があるんだろう
って思われるのが面倒くさかったんですよ
でもそのアメリカの場合にそのマイプレジャーって言い方があるんですけど
あの俺好きでやってるから別にお前のためじゃねえし
っていうでその感覚で普通に人助けをするんですよね
なのでその別に能力がない人がいて腹減ってるって言うんだったら
じゃあうち来て飯食えばとかなんかその困ってるんだったら助けるよっていうのも
別にそのなんかそういう人がいるから助けるのが当たり前だよね
っていうのでその能力があるから能力がないから
助けるとかでもなく単純に困ってる人がいたら助けるのが自然だよね
でそれが普通だよねっていう価値観の人がキリスト教圏って多数派なんですよね
まあこれもあの語弊があるんですけど僕が言ってたそのアーカンソーシューの大学なる町って
割とその教会に通うあの熱心な信者の多い白人の多い地区だったりするので
なのでそのなんか誰かが助けてって言ったら助けの当然でしょ
っていう別でお金持ちだからとかじゃなくて
別になんかそれが当たり前じゃんっていうもっていう価値観だったりするので
その偽善でやってる人もいるかもしれないですけど
偽善じゃないっていう人もまあそれが普通と思ってるって言うので
そういうなんかその宗教的な価値観っていうのは
実は僕は国を運営する上で国というか国ってその人間の集まりなので
その多くの人間が集まる組織というのはそういう価値観というのはやっぱり必要な気がするんですよね
でそのシンガポールみたいにもう優秀な奴だけがガンガン稼ぐぜ
っていう500万人ぐらいの組織であれば
それはそれで成立するかもしれないですけど
日本みたいにその1億何千万人もいますってなるとその優秀じゃない人のが多いんですよ
その最近あのリハックっていう番組で国民民主党の党首の玉木さんとお話をしたんですけど
玉木さんすげー優秀で頭がいいしこういう政策やった方がいいよね
って言ってることは毎回毎回正しいんですよ
でその教育国際やって5兆円配った方がいいよねとか言ってることは正しいんですよ
ただ偏差値50以下の人にはこれ伝わらんだろうなって毎回思うんですよね
であの大学って基本的に偏差値50以上の人が行くところなので
日本人のだいたい7000万人ぐらい偏差値50以下なんですよ
偏差値ってあの真ん中50なんで50以上の人も半分いれば50以下も半分いるので
なので70その偏差値50以下の7000万人は玉木さんの話わからんよね
っていうそこが抜け落ちちゃうんですよ
だからなんか本当に玉木さんはそのよ彼と思って言ってるし言ってることは正しいし
いい人なんだけど
これは伝わらんなーって毎回思う」っていう
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